コッツウォルズの亜麻畑

コッツウォルズの亜麻畑

2017年6月25日日曜日

英国の園芸テレビ番組50周年


NHKの「趣味の園芸」は1967年(昭和42年)に放送を開始して、今年で50周年を迎えていますが、イギリスでもその直後の68年1月にBBC放送で園芸番組「ガーデナーズ・ワールド」の放送が開始され、今年で50年目を迎えています。

BBCは番組と同じ名前の雑誌を出版していていますが、趣味の園芸のテキストが番組の内容の紹介を記事の中心にしているのとが違い、テレビ番組の内容の紹介はほとんどなく、独立した雑誌となっています。ただ、雑誌に紹介される記事の多くがテレビ番組のプレゼンターたちにより行われているため、テレビと雑誌はうまく引き立てあって共存している印象です。

ガーデナーズワールド誌の6月号の表紙には、この20年間に番組のメインプレゼンターをつとめてきた二人のガーデナー、アラン・ティッチマーシュ氏とモンティー・ドン氏が二人並んで登場しています。このツーショットは美しい庭で有名なイギリスのコッツウォルズにあるバーンズリーハウスで撮影されています。庭での二人の対談の様子が雑誌のホームページで公開されています(→ここをクリック)。






そして雑誌の冒頭の特集として、番組の歴史を紹介しています。


番組が始まった60年代から70年代の副題は「Yシャツとネクタイ、そして巨大なテレビカメラ」。
ちょうど時代は白黒テレビからカラーテレビの時代になったころで、それまであった白黒の園芸番組のあと、カラーの番組としてこのガーデナーズワールドが登場したそうです。
最初の番組の顔となったのはパーシー・スローワー氏(英国の主任ガーデナーと言われた)で、ネクタイとパイプがトレードマーク。そして翌年にアーサー・ビリット氏(左下の犬が写った写真の左)が番組に加わります。この当時からプレゼンターの自邸の庭が撮影に使われていたそうですが、大きいテレビカメラと太いケーブルを使った撮影の準備が大変だったようです。
パーシーの娘のマーガレットさんは父と一緒に番組にでたこともあり(写真右下)、当時は20人ぐらいのスタッフが撮影にきていて、お母さんがランチを作っていたこと、台本はなくて感じたことを話していたことなどを紹介しています。



80年代は「きたないジーパンと有機栽培、そして女性プレゼンターの登場」
1980年にパーシー・スローワー氏に代わって、テレビの経験はまったくなかったジェフ・ハミルトン氏がプレゼンターに加わり、その後メインのプレゼンターとなります。かれはトレーナーと泥だらけのジーパンで登場して手を泥まみれにして安上がりの方法を考案するスタイル。
1983年からは現在も息子さんに引き継がれている彼のバーンズデイルの庭から放送されます。ジェフは一般の人々が庭づくりの参考にしやすいようにと、ここに小さな庭をたくさん作っていきます。83年には一週間に2ポンドでつくる庭を手がけ、またオーガニックガーデニングを始めています(現在も彼の有機栽培の著書が改訂されて出版されています)。
彼の次男のニック・ハミルトン氏は、番組のメインプレゼンターになったときは17歳だったそうで、父はとても実践的な人で何でも自分でやっていたこと、とてもユーモアがあったこと、うまく育たなかった時にはそのまま番組で見せていたこと、などのエピソードを紹介しています。彼が作ったいろいろな38の庭は20年経って立派になってたくさんの見学者が今もきているそうです。



90年代は「石じゃない石、幅広いン内容、そして突然の終わり」の時代です。
このころになるとテレビカメラは小型になって、どこにでも撮影にいくことが簡単になったため番組の構成が変わって、ジェフの庭からの放送の間に他のところで撮影してきたものを入れるような雑誌のような構成になったのです。
ジェフは自分で自作する小さな庭造りを90年代も続けていて、視聴者にも好評でした。石灰岩が庭造りのためにたくさん採掘されて自然景観を台無しにしているのを知った彼は、自分で石じゃない石を作る(モルタルで)方法を紹介したりしています。
ジェフは95年に軽い心臓発作をおこし、仕事を減らしていましたが、96年8月にチャリティーの自転車レースで致命的な心臓発作を起こして突然なくなりました。
ジェフの最初の発作のあと後継者として彼の友人のアラン・ティッチマーシュ氏に仕事を引き継いでいっていましたが、突然のジェフの訃報に、まだ自分の庭の名前をつけずにいた彼は番組放送直前にあわててバーリーウッドという名前をつけたそうです。
少しずつアランも仕事になれていきましたが、彼のジーパンはジェフほどはよごれていませんでした。当初はいろいろ批判もされましたが間もなく視聴者に愛されるようになりました。

雑誌ガーデナーズワールドは1991年に創刊で、昨年25周年を祝っています。



2000年代は「スタイルや内容、借地での撮影、そして新しい番組のフォーマット」
アランの庭バーリーウッドは細長くて傾斜のあるところだったため、それまでの撮影ではなかったような問題がいろいろ出てきましたが、彼はいろいろな工夫をして海岸の庭、大きな野生動物のための池、熱帯の庭などを作っています。
アランはそれまでの司会者たちよりも倹約的ではありませんでしたが、ガーデニングの方法の指導力は同様に高く、またジェフのオーガニックガーデニングへの熱意も引きついでいました。
2002年にはアランは番組をやめることにして、別のところで毎週の番組作りに縛られない庭造りを開始し、彼の家族も放送局から毎週自宅にスタッフが撮影にやってくる生活からやっと卒業することができました。
アランの後継者はすでに別の番組の経験があり、新聞にコラムを書いていた有機栽培に熱心なモンティー・ドン氏に決まりました。しかし、今までと違い、自邸の庭からの放送ではありませんでした。BBCが番組のために借りた庭からでした。
番組の内容は幅広くなり、一番良い一輪車の選定、サラ・レイブン氏による植物の癒しの効果なども。現在プレゼンターをしているキャロル・クレイン氏やジョー・スイフト氏もこのころからレギュラーで出演しています。
2008年にモンティーが軽い脳梗塞をわずらってから、トビー・バックランド氏が番組を引き継ぎました。2009年には番組のための新しい借地へ移って、バーンズデイルでジェフがやっていたような、何もないところからの庭造りを番組で紹介しています。



2010年代は「気候変動、ソーシャルメディア、そしてモンティーの復帰」
健康を取り戻したモンティーは2011年に番組に復帰します。そして番組の伝統に立ち戻って、彼の庭ロングメドーからの放送が始まります。彼はここに1991年に移り住んで、妻のサラと3人の子供たちと一緒にほとんど一から庭造りを始めていました。番組が始まるころにはたくさんの部屋に分かれた成熟した庭が出来上がっていました。視聴者は四季それぞれの彼の個人的な庭仕事を見て、困難な問題からの回復法も学びました。その一例が西洋ツゲの病気による生垣やトピアリーの大きな被害でした。病気への対処法をいろいろ試行錯誤し、2017年のシリーズでは病気になった西洋ツゲを全部引き抜いて焼却し、新しい庭づくりに進んでいます。
モンティーはジェフの16年間に並び、さらに2年間の契約延長を最近行っています。



そして最後にこれからの時代です。
放送時間の延長、より幅広いアピール、そしてより多くのプレゼンターによる番組作り。
1時間での放送回数が増えています。時間が長いとより広い分野が扱えるようになります。また、初心者から熟練者までいろいろなレベルのガーデナーに役立つ番組作りも課題です。そのために番組のプレゼンターを増やしています。
これからの50年、ますます世の中は忙しくなり、生活のペースも速くなることでしょう。そしてこの番組のもっとも大切な役割はそのスピードをゆるめ、ちょっと立ち止まって庭のリズムとつなぎ、そして自然の美しさに気づいてもらうようにすることでしょう。





下の動画は番組50周年を記念した放送番組です。(突然みられなくなることがあります)

アランとモンティーの対談もあります(番組の中ごろ、23分ごろから)。
この50年間にもっともガーデニングに影響を与えた植物の視聴者からの投票結果がこの日の放送で発表されました(結果は番組の最後のあたり、55分ごろに発表されます)。




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